梅さんと小梅ちゃん①
今回の私たちのあゆみは、梅さんと娘さんである小梅ちゃんのおはなしです。
事前のアンケートを元に梅さんにお話しを伺いました。
まず、小梅ちゃんに病気がある事が分かったときのことから伺いたいと思います。31〜35週で病気について分かったとの事ですが、その時のことを教えて頂けますか。
私は個人病院で妊婦健診をしてもらっていました。
いつもどおりエコーをしてもらっていると先生から
「気になる事があるので一応大きい病院でみてもらいましょう」と言われたので翌日受診しました。
そして紹介された市民病院へ行きエコーをしてもらうと
「赤ちゃんのおなかに腹水が3箇所たまってます。明日から検査入院をしましょう」と言われました。
仕事を休み、翌日から1ヶ月管理入院をすることになりました。
医師もなぜ腹水がたまるのか分からない…という感じではじめははっきりしませんでしたが、最後の最後で「この病気かもしれません」と病名を説明されました。
はじめは担当医の先生が割とチャラチャラした軽い言い方だったので、すぐ治る病気だと思いました。
しかしその後、自分でネットでたくさん調べて病気のことが少しずつわかってくると、不安でいっぱいになってきました。
ご家族や周りの方へはどんな風に説明されましたか?また、どんな反応がありましたか?
病名は伏せて、「お尻の穴がないみたい」と伝えると、「そういう子最近多いみたいだね」と言われました。
家族は心配してくれましたが、私を不安にさせまいと明るくふるまってくれました。
それ治るの?とかどうなっちゃうの?と言われたのを記憶しています。
親戚のおじさんは脊椎損傷で車椅子生活だった為「病気は個性」と言ってくれました。その当時の私たちにとっては、その言葉にたどり着くには重すぎり言葉でしたが、今となってはとても素敵な言葉だと思いますね。
病気が発覚してからは、どのように過ごされていましたか
当時は仕事人間だった為、落ち込むより期待に応えなきゃと義務感のようなものがありました。ですから臨月まで仕事をし、産休後はマタニティペイントをやりたいと思ってました。
入院〜出産についてお伺いします。1ヶ月の管理入院をされていたのですね。その時はどのように過ごされて.どんな想いでいましたか?不安になった時に支えになったものが有れば教えてください。
入院中は、定期的にエコー検査をしていました。
入院中は不安しかなかったです。ふつうの身体で産んであげれないなんて、と自分をせめました。でも毎日たくさんエコー写真をとってもらえたので、赤ちゃんの様子がわかり、それが唯一はげみになりたした。
出産は破水から始まって、経膣分娩だったのですね。出産方法について決める際は何か医師から話がありましたか?
医師からは「下から産めますよ」と言われました。そして、出産については普通に産めますが、産んだらその後、赤ちゃんの様子を確認し、すぐオペになるでしょうと言われました。
出産の場面についてのお話をお聞かせください。
台風の日に破水しました。
夜中、大雨の中家を出発。その日がちょうど予定日だったので、不安よりも「この子に会える!」という気持ちのが強かったのを覚えています。
初産だったので、とにかく痛くて長かったです。赤ちゃんは頭の角からでようとしてて、出てきた時頭がすごくとがっていて、とても可愛いかったのが印象に残っています。
元気な産声を聞いて安心しました。しかし産前に言われてたとおりお尻の穴はなかったです。産まれてすぐ、保育器に入れられて運ばれていったのと、出産の後処理でいろんな事を考える余裕はなかったです。
ただ、ただ、「産まれてきてくれてありがとう」と思ってました。
元気に産声をあげてくれたんですね。出産後から退院されるまで、梅さんはどのようにして過ごされましたか。入院中に何か印象に残っていることはありますか。
出血が普通の3倍はあったため、3日間くらいはあまり動けず、赤ちゃんの事より自分のことでいっぱいでした。
赤ちゃんは、旦那と先生たちがついてるから任せておこうと思いました。
自分が動けるようになると、赤ちゃんに会いたいと強く思いました。
赤ちゃんに会えてからは会いに行くのが楽しみでした。NICUにはとても小さな赤ちゃんが頑張って生きているのをみて、自分よりも大変な思いをしてる方たちがたくさんいる、自分も頑張ろうと思いました。
出血が多く大変な産後をすごされましたね。出産後、心身共に辛い時期に気持ちを吐き出す相手や場所がありましたか。
それはなかったですし、いろんな気持ちを吐き出す資格もないと思ってました。
自分の責任だと強く思ってました。
そうだったのですね。
小梅ちゃんの事についてお伺いします。産まれた当日にストーマ手術をされていますね。大変ご心配だったと思います。梅さんはどのような思いでいらっしゃいましたか?
小梅のことを考える余裕もないくらい自分のことでいっぱいいっぱいでした。もちろん不安もありましたが、産むことくらいしか私にできる事はないので、あとは先生たちに任せると夫婦で話して決めてましたので、大丈夫でした。
小梅ちゃんの手術についての説明はいつ、どんな風に説明がありましたか?
産前は産まれてからお尻の穴がなかったら、総排泄腔遺残症と確定、人工肛門をつくるオペが必要なので手術します、と説明されました。産後は全て旦那に説明があったのでわかりません。
小梅ちゃんはN I C Uにはどれくらいの期間いましたか、面会中はどのように過ごされていましたか?
NICUには2ヶ月ほど居ました。
NICUではデジタルカメラで撮影したり「頑張ってるね」と話しかけたり抱っこさせてもらったり、オムツ変えてあげたりしてました。パウチの張り方、便の取り方なども教えてもらったりして過ごしていました。
離れて過ごさなければならない小梅ちゃんの入院期間中にはどのような思いでおられましたか。
会いたい。
早く一緒に過ごしたい。
でも不安。
私にできるかな。
と、そんな事を思っていました。
早く一緒に過ごしたい気持ちと、病気のケアへの不安が入り混じったお気持ちだったのですね。退院までにストーマケアを習得されていますが、どのように練習を行いましたか?
パウチの張り替えのタイミングで呼ばれ、スターターキットをもらい物品の説明とやり方を教えていただきました。
看護師さんと一緒に何度か練習しましたが、家で一人でできるか不安でした。
実際に退院すると決まった時はどんなお気持ちでしたか?何か赤ちゃんとの生活の為に準備されたものはありますか?
やっと会えるワクワクした気持ちと、家に帰ってもパウチの交換など一人でできるのか不安が入り混じっていました。
退院に際して準備してたものは、普通赤ちゃんに必要でありそうなものくらいで特にこれといったものはないです。
小梅ちゃんのストーマ交換の頻度が1〜2日毎だったそうですね。かなり頻回だとおもいますが、苦労した点や工夫した点などを教えてください。
始めのうちは寝ているだけだったので、あまり困りませんでした。
ですが成長するにつれて寝返りや座ることが多くなるとお腹にみぞができ、便漏が頻繁になりました。
それに対応するために、皮膚のシワをうめるものを使ったり、補強テープを貼ったり試行錯誤しました。ストーマパウチをはがすスプレーで肌のビランをふせいだりもしました。色々な会社の試供品をためして娘に合うものを選んで使う様にしました。
色々と工夫してケアされたんですね。はじめての育児に加えて、疾患のケアや病院の受診もありますよね。それを助けてくれる人やサポート資源はありましたか?
訪問看護の方が週に一回来てくれました。
その人たちは子どものケアに慣れてるわけじゃなく、お風呂のお手伝いくらいでした。
でもわたしの話を聞いてくれましたので助かりました。
費用は無料でした。
どのようにして訪問看護ステーションを決められましたか?
病院からの紹介で訪問看護ステーションを決めました。1週間に1.2回くらいの頻度で来てもらっていたと思います。
訪問看護に関して何かエピソードや利用された感想があれば教えて下さい。
私の場合、利用するのが申し訳ない程度でしたが、それでも人には言えない悩みを相談したり、ケアのアドバイスを聞くことが出来ました。人に関わるのが嫌でなければおすすめします。
梅さんと小梅ちゃんは②に続きます。
0コメント