ゆきさんとしいちゃん①
事前アンケートをもとに、ゆきさんに当時のことをお話いただくことになりました。
ゆきさんがしいちゃんを出産するまでの背景
実家は県外にあり地元と離れた地域(中部地方)で夫と上のお子さんとの3人生活。
しいちゃんを妊娠し、上のお子さんと同じように里帰り出産を予定していました。
では、お腹の赤ちゃんに病気があることが分かった時のことから、赤ちゃんと自宅での生活がスタートしたところまでのお話を聞かせていただきます。ゆきさん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします
ゆきさんは31~35週で病気について分かったとのことですが、どんな状況で病気を知ることになったのでしょうか?
第二子の妊娠で、実家から離れたところで生活していたので里帰りすることは決まっていました。里帰りまでの間に行っていた産婦人科で、『単一臍帯動脈』であると言われましたが、これについては特に問題ないとのことでした。
その後、第一子を里帰り出産した個人産院で、単一臍帯動脈の話をしたところ、念のため大きな病院へ、ということで、K医療センターで診てもらうことになりました。
32週でk医療センターで妊婦健診を受け、2度目の健診のエコーの時に、お腹の辺りに影が見えると言われ、詳しく調べましょうという流れになりました。
後日、エコー(約1時間)とMRIを受けました。
36週に結果が分かり、医師から夫にも同席してほしいとのことで、急遽夫を呼び寄せて、2人で話を聞きました。
ここで、はじめて「総排泄腔遺残」の可能性が高いという結果を聞きました。
上の子は障害があり、正直、何で2人とも…、何で私だけ…と思いました。周りには気丈なふりをしていましたが、絶望感でいっぱいでした。
総排泄腔遺残は、産まれた後すぐに手術が必要であり、また、長期に渡り治療が必要である為、生活基盤の地で診てもらう方がいいのではないかという提案もあり、なるべく早く(週数的に飛行機に乗れるギリギリになっているため)、どちらで出産するか決めてほしいと言われました。
上のお子さんがいらっしゃる中で、急な病気の発覚だったのですね?
病気のこともそうですし、自宅に戻るかどうかも決めなくてはならなくて、頭はパニック。でも病院にいたその時は涙は出なくて、実家に帰って夜中に泣きました。
ネットで調べてみましたが、なかなか情報は得られず、不安でいっぱいでした。
私の両親には、その日の夜か、その翌日の夜に話をしました。両親もはじめて聞く疾患に驚いていました。私たち夫婦は、どんな子であれ、「可愛がって育てるだけ」であること、そして自宅に戻らず実家のあるここで出産するので両親には協力をお願いしました。
あと、病気のこと(詳細)は周りの人に伝えないことにしました。
病気が発覚してから、気持ちの休まらない日々を過ごされたんではないですか?
里帰り出産予定だった病院から転院したK医療センターでは、管理入院はされていなかったのですよね?出産まではどのように過ごされましたか?
管理入院はありませんでした。第一子が帝王切開でしたので、第二子も帝王切開での出産になるとすでに決まっていました。
実は転院先の病院で、病気のことを聞いたのが金曜日。
夫は急遽仕事を置いて話を聞きに私たちの元に来ていたわけなんですが、土日を一緒に過ごして、日曜日の夜の飛行機で自宅に戻りました。
夫を見送ったその日の深夜、少しお腹が痛くなり、だんだんと痛みも増していった為、夜中にK医療センターに向かいました。すでに陣痛が始まっていて、陣痛を抑える点滴をしましたが、破水し子宮口も開いている為、緊急帝王切開となりました。
金曜日に話を聞いて、月曜日の明け方の緊急帝王切開で、ジェットコースターのような数日でした。
正直、病気の話を聞いてから、いろいろ考えたり悩んだり落ち込んでいる時間がほとんどありませんでした。
そうだったのですね。
本当にジェットコースターのように急激に物事がすすんでいったのですね。
緊急帝王切開というのも、心の準備ができず大変な経験でしたね。
実際の出産日は36週と何日ですか?
36週5日です。
出産の場面についてのおはなしをお聞かせいただけますか?
破水してから陣痛が急に進み、子宮口もかなり開き、痛みといきみたい気持ちとで、かなり焦っていました。先生方が、あまりの進み具合に、帝王切開が間に合うか?と話をしていたのが、聞こえました。
麻酔を打たれてからは、痛みから解放され、少し落ち着き、とにかく無事に産まれてきてほしい。それだけでした。
お腹から出てきて、私の顔の近くに赤ちゃんを寄せてくれました。
私、視力が悪いんですけれど、手術中はメガネをかけられないので、ぼやけた感じでしたが、とにかく顔を見れてひと安心しました。
抱っこなどはできず、そのまますぐに検査で、小児外科に連れて行かれました。
緊急帝王切開の時の緊迫した雰囲気が文章から伝わってきますね。
しいちゃんは、産まれた当日にストーマ手術をされたとアンケートに書いてくださっていたのですが。大変ご心配されたのではないでしょうか。。
産後すぐに抱っこもできないまま手術に送り出したとき、どのような思いでいらっしゃいましたか?
娘は明け方に産まれたんですが、お昼ぐらいに小児外科の先生が検査の内容や説明で顔を出してくれました。ここで正式に「総排泄腔遺残」であると伝えられました。
そのあと、夕方からストマの手術をすることを説明され、承諾書にサインしました。
帝王切開の手術室で、少し顔を見ただけで、触れることも、抱っこもできず、術後の痛みと不安でつぶれそうでした。
しかし、娘が手術に向かう際に会わせてもらえることになりました。
私はベッドのまま移動して、手術室の近くでお互いのベッドを近づけてもらい、手を握ることができました。その時に、看護師さんに写真を撮ってもらいました。
とにかく、手術頑張ってね。無事に終わってほしい。と願うことしかできませんでした。
涙があとからあとから溢れてきました。心も体もボロボロだったと思います。
願うことしかできない、そうですよね。私もお話を伺っていますと自分の時のことを思い出されてきます。
多くのママは出産の疲労やホルモンバランスの変化、傷の痛みなどで気持ちが不安定になりやすいと言われています。
その上、大切な赤ちゃんと離れて過ごしたことで、思い描く産後の形では無かったのではないでしょうか。
そんな気持ちを吐き出す相手や場所がありましたか。
そうですね。
急な出産でしたので、思い描く産前産後ではなかったですね。
とにかく、どうすればいいのか必死でした。
自分の性格上、弱音を吐くのが少し苦手で。
吐き出すというよりかは、夫と励まし合ったり、自分の両親に甘えたりすることで、なんとかバランスを取っていたように思います。
あとは、漠然とした不安があるのですが、いったいどこに吐き出したらいいのか、何を吐き出したらいいのかも分からない状態だったと思います。
出産後から退院されるまで、ゆきさんご自身はどのようにして過ごされてましたか?入院中に印象に残っていることはありますか?
帝王切開でしたので、動けるようになるまでと、傷の痛みが辛かったです。
あと搾乳も大変痛かったですね。看護師さんとお喋りしながら絞ってもらったりしました。
入院していた部屋は個室だったのですが、隣から元気な赤ちゃんの泣き声を聞くと、少し落ち込んだりもしました。
しいちゃんの退院までは約1ヶ月かかったのですよね。
N I C Uにはどれくらいの期間いましたか?
NICUには2週間、それからGCUに2週間で、1か月です。
面会はどれくらいの頻度で行かれましたか。面会中はどのように過ごされていたかお聞かせいただけますか?
自分自身が入院中の時は
面会は11時から夜までで、だいたい1〜2時間面会でミルクやストマ管理を練習する。
↓
退室して自分の休憩や搾乳。
↓
それからまた搾乳した母乳を持って行く。
という流れで、1日だいたい3回ぐらいの面会をしていました
ゆきさんが退院後、しいちゃんは入院中なので離れて過ごすわけですが、どのような思いでおられましたか。
自分が退院してからは家で搾乳した母乳を持って、11時ぐらいに病院に送ってもらい、夕方、迎えに来てもらっていました。
面会中は、とにかく抱っこと写真をたくさん撮りました。
スマホの持ち込みが禁止だったので、デジカメで撮って、退室後にスマホに移動して夫に送っていました。
娘の状態が少し落ち着いてきてからは、パウチの貼り方や、便の出し方。
どんな方法がやりやすいか、いろいろ試行錯誤していました。
確かに、先に1人で退院してからは、離れていることに少し不安もありましたが、
逆に、娘が病院に居ることが安心でもありました。
(何かあってもすぐに対応してもらえるので)
娘が退院したあと、実家に戻った時に、何かあっても病院までが少し距離があるので、何かあった時どうしよう?という不安からも入院中は少し解放された部分がありました。
そうですよね。赤ちゃんは病院にいるからすぐに対応はしてもらえるけど、離れている不安もありますよね。
赤ちゃんとの生活がはじまるまえに、何か準備されたものはありますか?
パウチや保護シール、小さめのハサミ、ゴミ袋、テッシュやガーゼなどが入る、持ち運びできるボックス(ストマセット箱)を用意しました。
病院から紹介されたストーマ販売業者さんから購入されましたか?
それともご自身で調べて準備しましたか?
病院からの紹介で、購入しました。
ストーマのケアに関して、自宅で実践されてみてどうでしたか?
苦労した点や工夫した点なども有れば教えてください。
うまくいく時と、いかない時がありましたが、
実家だったので、手伝ってもらえて助かりました。慣れるまでは、やはり時間と回数がかかりました。
順番に使うものを並べておくとスムーズに進むのですが、たまに1つ忘れてしまったりして、バタバタ慌てることもありました。
パウチを張った後に、保護シール貼るのを忘れていたり…なんてことも。
夏だったので、汗で剥がれることも多かったです。
ご実家ではゆきさんのご両親もケアに参加して手伝ってくださったのですね。
里帰り先から自宅に戻られてからは、誰か手伝ってくれる人はいましたか?
自宅に戻ってからはいません。
すると、ストーマケアはお一人でされていたのですね。赤ちゃんの動きも段々活発になりますし、途中で便が出てきたりと大変な面もあったかと思いますが、どのような工夫をされたかお聞かせください。
寝返りするまでは、普段出してないおもちゃで気を引いてやっていました。
替えてる途中で便が出たりすることは多々ありましたね。
防水シートやタオルなど何枚も下に敷いていました。
寝返りなどの動きが出てくると、テレビやタブレットで、歌を聴かせたり、赤ちゃん向けの映像を流しつつ、速さ勝負でやっていました。
娘の気がそれたりしたら、私がいつもと違う声を出してみたりして、気を引いていました。
もちろん、自分の手足を使って押さえながらもやったりもしていました。
一人でケアするとなると、両手、両足もフル稼働で、そして声まで変えて、すごい技ですね!
少し話は逸れますが、
上のお子さんはお兄ちゃん?お姉ちゃんですか?
お姉ちゃんです。
上のお子さんにとっても里帰りで環境が変わったり、ママが退院してきても病院に通ったりして変化の多い時だったと思います。
上の子との関係のなかで何かエピソードはありますか?
上の子は当時2歳で、祖父母大好きだったので、私が急に入院しても、泣くこともなく、わりと平気だったそうです。
私の退院後は、だいたい一緒に病院に行き、私だけ降りて、その後祖父と遊びに行ったりしていました。夕方迎えに来る時も一緒に来ていました。
「赤ちゃんに会いに行ってくるね。」
「おっぱいあげてくるね。」と、簡単な説明でしたが、理解してくれているようでした。
夕方から夜、寝るまではいっぱい抱っこしたり甘えさせたりしていました。
特にわがまま言うこともなく、お利口すぎて、逆に心配になりました。
2歳といえばイヤイヤ期なのに、お姉ちゃんも協力してくれたのですね。ママの1番のサポーターだったかもしれませんね。
ゆきさんのお話は②へ続きます
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