みおさんと凛ちゃん①

事前アンケートをもとに、みおさんから病気が発覚した時のことをお話していただきました。

みおさんの背景
4歳のお子さんを育てていたみおさん。
妊娠経過に問題はなく、穏やかに過ごされていましたが、妊娠後期の健診で赤ちゃんに異常が見つかります。


凛ちゃんに病気がある事が分かった時のことから伺いたいと思います。どんな状況で病気を知ることになりしたか?
 妊娠30週、出産予定だった地元の産婦人科での妊婦健診の時でした。前回の健診までは特に何も言われずいつも通り帰ったので急にです。
いつもエコー中は優しく説明しながらサイズを測るんですが、その日は途中から何故かどこかをずーーーっと無言で先生がエコーで見てるんです。怖くて「どうしたのか?」なんて聞けませんでした。
赤ちゃんのお腹に嚢胞がある事、羊水が少ない事を言われ、県内のNICUのある大きい病院に紹介状を書いてもらい、その足で行く様に言われました。
そこでも同じ様に無言で30分くらいエコーをしてもらい、次は隣の県の大学病院へ明日行くように言われ、そこで初めて可能性のある疾患として2つ言われたうちの一つが総排泄腔遺残症でした。
可能性のある病名を言われるまでは、まさか自分の子がこんな大変な病気だとは思ってもいませんでした。「まさかウチの子が!」まさにコレです。

急に病気の可能性を指摘されたら「まさか!」と驚きますよね。ご家族や周りの方へはどんな風に説明をされましたか?

母には、妊婦健診後にランチの予定だったので診察が終わってから電話で伝え、主人には仕事中だったのでLINEで異常を指摘された事を連絡しました。
お腹の中の凛ちゃんに病気があるとわかってとても不安でしたよね。そんな中でも病気のことを知るために、ひたすら検索されたとのことですが、どんな情報に目がとまりましたか?
総排泄腔遺残症だろう!とハッキリ言われたのは初めて大学病院を受診して1週間後の再受診の時です。羊水がなくなり入院となった際に今後の予定と病名を言われました。
病室のベットで「総排泄腔遺残」と初めて調べてみると、まず1番に目に止まったのが【難病】という文字で、物凄くショックを受けました。
あとは、稀な病気だと言う事、あまりネットには知りたい情報がないな...と思いました。
その時、アメーバブログで総排泄腔遺残の子を持つお母さん方数名と出会い、夜通しブログをひたすら読みました。(この頃の携帯のギガ数の消費は凄かったです。)
知らない病気でしかも難病だとわかった時はショックですよね。         
では、入院〜出産についてお伺いします。実際の出産は何週何日でしたか?


入院は31週、出産は34週3日でした。

 みおさんの出産は帝王切開の予定だったのに、経膣分娩になりましたよね。急に変更になったのはどのような理由だったのでしょうか?

なるべくお腹に留まらせて、36.37週くらいで帝王切開しようと言われていましたが、予定よりだいぶ早くに破水してしまいました。

破水した翌朝にお産をしよう!となり、帝王切開の予定で着圧のストッキングの説明などもされていたんです。

これまでは羊水がほぼなく胎動もあまり感じない程だったんですが、破水した日にエコーをしてみると羊水が少ないけど今までよりはあり、産科の先生が経膣で!と決めました。

赤ちゃんが途中、危険になれば緊急帝王切開になるとは言われました。

出産は点滴からの促進剤でした。羊水が無い状態のままだったら帝王切開だったと思います。

出産後、なかなか産声が聞けずに不安だったとありましたが、どのような状況だったのでしょうか?凛ちゃんは何らかの処置をされていたのですか?

まず、お産の時に娘の頭が出てから体がなかなか出ずに10〜20分くらいかかりました。臍の緒が短かったとか?そんな感じだった記憶です。

やっと体も出たと思ったら分娩室にスタンバイしていた新生児科の先生の所へ行き蘇生の処置をしてもらいました。

どれくらいだったかな?5分くらいかな?体感としてはすごく長く感じましたが、しばらくしてから小さな声で泣いてくれました。

産声が聞こえるまでは、出てくる時に時間がかかってキツかったのか?それとも総排泄腔遺残的にそうなのか?生きているのか何も分からず不安でした。

母子手帳には、出生児「新生児仮死」と記載されていました。

母子手帳に「新生児仮死」と記載ですか…みおさんが目にした時のことを思うと言葉が見つかりません。凛ちゃんが今元気でいてくれて本当に良かったです。
出産後、凛ちゃんに会うことはできましたか?

処置が終わりNICUに運ばれる前に一瞬だけ対面してほっぺを触る事が出来ました。

口には人工呼吸器が挿管されていました。

そのあと娘は検査だったので3.4時間後にまた会えましたが、数日間、鎮静剤で眠っていました。

凛ちゃんは産まれてすぐに3.4時間もの検査に耐えてくれたのですね。思い描いていた対面ではなかったと思いますが、少しでも触れ合うことができてよかったですね。
出産の時、特に記憶に残っている事や陣痛時に感じていたおもい、凛ちゃんとの対面に関する事など自由に思い出すまま、当時のお気持ちを教えてください。

陣痛中は、こんなに痛い思いをしてお互い頑張っているのに、終わった先にも辛い事があるのか...

これまで数週間ほんとうに辛かったし、この痛い陣痛を頑張ったら神様許してよ...と悲しく思っていました。

あとは、産まれてみたらやっぱり違いました!とか、せめて、総排泄腔遺残でも軽度であればいいな。とひたすら思ってました。

お産が決まってからの気持ちは、総排泄腔遺残とはいえ、この疾患は人によって病状などが様々だし、どの程度なのか?また合併症の有無なども分からないと言われていたので、やっと病気の程度が分かるという嬉しさ?や、この辛い状況で産まれて来るのを1人病室で待つという入院生活が終わってやっと次に進める!という気持ちもあったけど、それと同時に、障がい児の育児が始まりこの先どんな生活になり、どんな事がまっているのか分からない不安、障がいのある我が子を受け入れる事が出来るのか分からない不安がありました。

どうなっていくのかわからないというのは不安ですよね。自分が我が子のためにどこまでできるのか、ちゃんとやってあげられるのか自信が持てず不安になる気持ちよくわかります。みおさんが退院されるまではどのようにして過ごされましたか?

搾乳したり、NICUに面会に行ったりして過ごしました。授乳室に行くと赤ちゃんに授乳をしてる方がいるので、私もココで授乳したかったな...と羨ましかったし、なぜ私の赤ちゃんはココに居ないんだろう。と辛かったです。

病室で搾乳する事も可能だったけど何の意地か分からないけど欠かさず授乳室に行ってました。そして、前日は少し出ていた母乳がストーマ造設術の日は1滴たりとも出ませんでした。

ストーマ造設術の日に母乳がでなかったのは、やはり精神的なことが大きく影響したのでしょうね。心配で心配で搾乳どころではなかったと思います。みおさんが入院されていたお部屋は何人部屋でしたか?

産前産後で部屋を分けていない病院でした。

入院当日は外来受診からそのまま入院で夕方だったので4人部屋、翌日から2週間はMFICUの個室(2週間しかいれない)、その後はメンタル的に相部屋は辛くて個室を希望して退院まで約10日間を個室で過ごしました。

お金はかかるけれど、泣きたい時に気にせず泣ける、電話も出来る、シャワーも待たずに好きな時に入れる、何より産後のメンタルを考えると個室で良かったと思いました。

そうだったのですね。出産後のママの多くは出産の疲労やホルモンバランスの変化、傷の痛みなどで気持ちが不安定になりやすいと言われています。 その上、大切な赤ちゃんと離れて過ごしたり思い描く産後の形では無かったのではないでしょうか。そんな気持ちを吐き出す相手や場所がありましたか?

気持ちを吐き出す場所...あまり無かったです。

親は仕事が忙しい時期でしたし、主人にも自分の気持ちはあまり言っておらず、病気が分かってから一番の心の支えはアメーバブログで繋がっていたお母さん方でした。

私が退院した後に娘の面会に行く道中しばらくは毎日泣きながら行っていました。

毎日、泣きながらでも我が子に会いに行く・・・みおさん、頑張りましたね。
ここからは凛ちゃんの事についてお伺いします。 生後2日でストーマ手術をされていますね。大変ご心配だったと思います。みおさんはどのような思いでいらっしゃいましたか?

我が子の初めての手術、ましてや産まれたばかりの....。産科の看護師さんに車椅子を押してもらい手術室前まで見送りに行きました。

とても心配で、辛く、涙が止まらず不安でした。

自分が手術を受けるよりも、産まれたばかりの我が子が手術を受けるんですから、心配で涙が溢れますよね。みおさん自身の体も回復しきっていない中、立ち合いをされてよく頑張られたと思います。凛ちゃんの手術についての説明はいつ、どんな風に説明がありましたか?

ストーマ造設の手術説明は、出産後検査をしてからだったので、出産から4時間後でした。

膀胱ろう造設はストーマを造る際に同時に行ったのでしょうか?

膀胱ろう造設はストーマ造設とは別でした。

出生後から共通管にカテーテル留置で尿が出ていたのですが、生後1ヶ月の時に尿路感染症になり、尿管膀胱逆流症もあったので生後1ヶ月の時に膀胱ろうを造りました。

それから尿路感染はおこしていません。

ストーマ再建とありましたが、はじめの形成術からどの位で再建されたのでしょうか?その時はどのような状況でしたか?

ストーマ再建は生後2ヵ月でおこないました。

生後2日で造った回腸ストーマが脱出・拡張し、ガスの排出が不十分で腹腔内の腸管の拡張、腸管内圧が高い為、回腸ストーマを閉じて下行結腸に新しくストーマ造設となりました。

凛ちゃんはN I C Uにどれくらいの期間いましたか?面会はどれくらいの頻度で面会中はどのように過ごされていましたか?

NICUに2週間、GCUに1ヶ月半、ストーマ再建前から小児外科病棟の24時間先生や看護師さんが常駐している大きな部屋での預かりで2カ月半です。

出生後139日でやっとお家に連れて帰る事ができました。

面会には私が退院した翌日からほぼ片道1時間弱かけて毎日車で行きました。

面会中は、撫でたり、喋りかけたり、抱っこしたり、ミルクをやったりしていました。ストーマケアは生後2ヵ月経ったくらいから教えて貰いました。

最初の頃は面会に行ってもストーマケア中だとか、処置中だと言って外で待つ事もありましたが、我が子の事なので邪魔にならない程度に見てもいいのでは?とは思ってました。

今思えばこちらの精神面への配慮をして頂いていたのかもしれませんね。

みおさんの退院後、離れて過ごさなければならない凛ちゃんの入院期間中はどのような思いでおられましたか?

娘の4つ上にお兄ちゃんがいましたので面会後、保育園に迎えに行き、妊娠前のような生活でした。(気持ち以外は)息子が寝てからは検索魔になる日々です。

娘は母乳アレルギー疑惑があり、なかなか搾乳した母乳でさえ与える事が出来なかったので、今後授乳できる時の為に!と搾乳はしてました。

何か、言葉で表すのが難しいんですけど、家では病気が見つかる前と変わらない生活だったので、病院への行き帰りは、現実世界(家:今までの世界)と別世界(病院)への道中だなっと感じていました。

病院には私の知らない世界が広がってるように感じていました。


みおさんと凛ちゃん②へ続きます。

モモの会

ピアサポート 【モモの会】です。 モモの会は総排泄腔疾患の娘を持つママたちの集いで、こちらのサイトはモモの会のメンバーで運営しています。

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