みおさんと凛ちゃん②
前回に引き続き、みおさんにお話を伺います。
退院までにストーマパウチ交換、膀胱ろうの管が抜けた時の対処法、膀胱ろうの固定テープの交換方法等、たくさんの手技を習得されていますよね。初めてのことばかりで大変だったと思いますが、どのように練習を行いましたか?また、練習している時はどう感じていましたか?
はじめてパウチ交換を見た時、ストーマの首部分(ストーマとお腹の境目)を見て、気分が悪くなりました。汚いとかそんなのではなく、まさに、よくドラマで研修医が手術中に倒れる!とかそんな感じです。
見慣れたら大丈夫になりましたが、娘は動くし慣れるまでは大変でした。
退院後、分からない事があっても簡単に聞くところもないので、自分で管理出来るのか不安しかなかったです。
実際に退院すると決まった時はどんなお気持ちでしたか?何か凛ちゃんとの生活の為に準備されたものはありますか?
退院までに3度も手術があり、なかなか退院の目処もたたなかったので、やっと!!!という気持ちが大きかったです。お兄ちゃんとも会った事が無かったので兄妹の対面も楽しみでした。
2泊3日の母子同室入院でお世話の練習などをして退院しましたし、退院に合わせて訪問看護もお願いしました。
退院後についてお伺いします。凛ちゃんのケアに関して、自宅で実践されてみてどうでしたか?膀胱瘻のケアについてはどのくらいの頻度でテープ交換をされていたのですか?その他、苦労した点や工夫した点なども教えてください。
パウチ交換の頻度は2日もったり、1日だったり、半日だったりと、様々でした。
最初はパウチ交換に凄く時間がかかってました。
娘も動きますし、こちらも慣れてないですし、本当にてんてこ舞いです。
娘を足で抑えたりしてました。
そして、いつも通りにケアしてもすぐに漏れたり何がいけなかったのかも分からず、困った時にすぐに相談出来る所がなくて困りました。
膀胱ろうのカテーテル固定テープは毎日お風呂あがりに交換しています。
肛門形成(生後半年)までは共通管にもカテーテル留置していたので(共通管が細くてブジーで広げたから狭窄防止)お風呂上がりはとにかく忙しかったです。
初めはストーマケアも膀胱ろうケアも病院で教えてもらった通りにしていましたが、慣れてくると色々試して段々と自己流に変えて行きました。
アメブロで繋がっていたお母さん方のアドバイスが参考になる事が多かったです。
上のお子さんの育児に加え、疾患のケアや病院の受診もありますよね。それを助けてくれる人やサポート資源はありましたか?
娘の入院中の面会や、退院後の受診は上の子が保育園に行っている間に行っていたので特に大変だと感じた記憶はないです。
帰りが遅くなる時は、母が上の子を保育園へ迎えに行ってくれたり、夕飯を作ってくれていました。
退院に向けて準備したことに、訪問看護とありましたが、実際には利用されていなかったのでしょうか?なにか事情があったのですか?
退院後、訪問看護は来てもらっていました。
退院する前に病棟看護師さんに勧められたからです。
パウチ交換の日にお願いしていて、娘のお風呂→パウチ交換→膀胱ろうケアをする時のサポート役(あやしてくれたり)をしてもらっていました。
ですが、パウチの持ちが安定せず、予定通りにパウチ交換の日になる訳ではなく、段々と必要性を感じなくなっていました。
娘が2歳すぎから保育園へ通うようになったので、それを機に辞めました。
ストーマや膀胱瘻がある事で生活の中で困った事や悩んだ事、工夫したことがあればお聞かせください。
やはり夏のプール、川、海に行くのは今でも勇気がいります。
服装に関しては、洋服は1歳過ぎまではロンパース 、それ以降はワンピースにスパッツです。着せたい服を着せられないことはあります。
肌着は4歳になった今も、サイズがギリギリですが前開きロンパース タイプの肌着です。
保育園でも2歳児は私服ですが、園ではワンピースやチュニックは禁止なので娘だけ若干丈が長めのスモックを毎日着せてました。
あと、膀胱ろうは尿バックに繋いでいるので、その尿バックをどうするか?いかに動きの妨げにならないようにはどうするか?については、結構頭悩ませました。
これまたアメブロの先輩ママさんがやっていたアイディアを真似させて頂き、さらにアレンジを加え、服を着ていれば全く分からないし、動きも制限なく他の子と同じ様に遊べています。
凛ちゃんとの生活で嬉しかったこと、印象に残っているエピソードが有れば教えてください。
育児や毎日のケアに疲れる時もあるし、世の中の理解が少なく辛い時もありますが...
産まれるまではどんな生活になるのか想像もつかなかったのですが、やはり、上の子の時よりも成長が嬉しいです。
こども園で他の子と同じ様に発表会や運動会に参加している姿は涙無しでは見れない程嬉しいです。
根治術についてお伺いします。根治術は生後6ヶ月の頃にされたとありましたが、時期や方法について、医師からはどんな説明がありましたか?
時期は生後半年くらいと言われており、方法は術前に説明があり、娘の場合は共通管が4〜7cmと言われていたので、開腹して3つをそれぞれに分けるのではなく、恐らく腸だけを引き離し肛門形成だけをするだろうと言われていて、その通りの手術でした。
根治術を受けるに当たり、みおさん自身はどのような気持ちでしたか?
手術に要する時間、また開腹という事でとても不安でした。
ですが、次のステップに進めるという事は嬉しかったです。
根治術のあと4ヶ月の入院をされていますよね。縫合不全のために3回の肛門形成をされ、3回目は縫合不全にならず順調に回復されたのだと思いますが、3回目のオペの時はその前までと何か違う方法を取り入れたのでしょうか?何かエピソードがあれば教えて下さい。
はい、まさか1ヵ月弱の入院の予定が4ヵ月にもなるとは思いもしてませんでした。
特に3回目で方法が変わったとか、特別な事をしたという事はなかったです。
今も尚、手術後の経過としては完全ではないというか、術前に思っていた通りにはなってないです。(病院サイドもこちらサイドもそうだと思います)
1ヵ月おきに3度肛門形成していて、更には1年おいて4度目の肛門形成をしているので、合計4度しています。
1年おいた4度目のオペの経過も3度目と同じ結果でした。4回とも縫合不全です。
4度目のオペ前後は付き添い入院してたんですが、素人目から見ても縫った所がパックリとなっている事が分かりました。
再縫合しましたが、やはりすぐにパックリで....本当に絶望的でした。
4回とも縫合不全になってしまい、絶望的な気持ちになりますよね。また、1度の入院で3回オペになったということは、絶食期間も長かったと思います。それぞれ何日くらい絶食されていたのでしょうか。絶食期間中は個室に入れる等の病院からの提案はありましたか?
1回目の術後は数日鎮静剤で眠らされていたので絶飲食は長かったですが、2〜4回目は2.3回目まではミルク、4回目でも普通食を術後1.2日目で食べていました。
ストーマ があるからという理由だったと思います。
個室への提案はなく、個室は別料金だと言われました。
付き添いされていましたか?4ヶ月もの入院期間、病院に付き添う又は通うことは時間的にも体力的にもお気持ちの面でも大変な事もあったと思いますが、何か支えになった事はありましたか?
小児外科は術後数日以外は普通付き添いをしないといけないんですが、娘は手術続きで安定していなかったのでずっと術後に入る部屋で預かりでした。
なので、付き添い入院は1回目の肛門形成前の2日間と、4回目の肛門形成術前後の3週間でした。
預かりの時は毎日の面会に行っていたけれど、可能な面会時間と上の子との時間の兼ね合いで1日1.2時間しか会えなかったです。
なかなか思うような経過にならない現実が辛くてたまらなかった4カ月でしたが、支えになった事は、やはりアメブロの同病の先輩ママさん方との繋がりと、上の子の存在ですかね。
先輩ママや上のお子さんとの関わりに支えられながら、長く辛い日々を過ごされたのですね。 根治術後に変更、追加になったケアはありましたか?
根治術後退院してから追加になったケアは、ブジー、ストーマへの注入です。
ですが、共通管の留置カテーテルが無くなりました。
根治術まで無事に終えて、大変な手術や入院を頑張った凛ちゃんに対してはどのような思いでしたか?
出産も経膣で、他に手術もした事のないので手術ってどんなものなんだろう?と、今でも本人の気持ちは分かりきれてないと思います。
ですが、変われるものなら変わってやりたいとは何度も何度も思いました。
痛い事辛い事に耐えてくれて、ありがとうです。
病気がわかった頃の事を振り返っていただきましたが、あの頃のみおさんご自身に向けて何か声をかけるとしたらどんな言葉をかけますか?(総排泄腔疾患の)新米ママさんや出生前診断をうけた妊婦さんへメッセージがあればお願いします。
そうですね....
最初は何が辛いのか分からなく、ただただ辛くて仕方なかったけれど、今、決して順調な経過とは言えないし辛い時も大変な時もあるけれど、大丈夫だよ!当時思っていたより幸せで、上の子の時よりも色々と少しずつ大変なだけな生活が出来てるよ!って言ってやりたいです。
みおさん、アンケートとインタビューにご協力いただきありがとうございました。
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